2012年11月27日
内城の世の主神社について
【下城】(しもじろ) 〔世帯〕34〔人口〕92
下城は知名町の北西部に位置し、東は上城・新城、西は田皆に
接し、江戸時代から明治41年までは下城村、初めは大城間切に、
安政時代は西方、明治20年からは知名方に入る。明治10年に
下城学校が創設され27年に上城尋常小学校と改称される。
下城には琉球服属時代の島主・世之主の生誕地で「世之主神社」
がある。世之主と関係ある神社は、内城にある「世之主神社」
世之主の生母をまつり神とした新城の{花沖神社}がある。
下城の「世之主神社」は昭和2年に建立され、1月第二日曜日に
世之主神社大祭が行われている。
下城伝説によると、琉球に年貢を納めており、トヌチ家(要家)
が任にあたっていた。北山王がトヌチに来て、その時トヌチの
美女が付き添い琉球に渡る。その時一夜をして世之主が
生まれたという。島に戻りしかし身篭ったことで、父母に
叱られて家出し、今の神社の敷地に霜月の寒い日に、世
之主を生み暮らしたといわれている。
世之主は17歳の時琉球に渡り北山王と面会して、沖永良部の
統治権を与えられ、西目国内平三、国頭弥太郎、屋者マサバル
後蘭孫八などを部下に従えて、沖永良部島を治める。
中世の「えらぶのロマン伝説」を、何時までも伝えておきたいと
思う。西目3集落には是非この伝説を持ち続けていただきたい。
沖州会コラムより
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。