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2014年12月25日

沖永良部島 稲の2毛作について

沖永良部島 稲の2毛作について

奄美で稲の二期作を開発した偉人に「美野入間翁」がいる。
皆川字出身1888年(明治21年生まれ)、島での稲作は粗悪で
作付け面積も少なく、米は一期作では不足し、まずい唐米、
台湾米、シャム米等外米を輸入して不足分を補充していた。
人口が増え、大島郡だけの米ではまかなうことが無理で、
台風が着たら飢餓同様の生活をしなければならない。

翁はそんな姿を見て二期作づくりに取り組む、でも二期作
づくりは困難を極め成功しない時期が続く。翁に手を差し
出した人に今村農業技手がいた。一期作を刈取ったあとの
『マタべ』を利用することを思いつき、今村の指導を受け
二期作づくりが始まる。時は大正5年、そして大正8年
二期作苗づくりに成功する。

でも予想もつかぬことが起こる。ギャングの登場、空の雀
地のねずみの襲来にあう。田圃に仮小屋を作り防除に日々
費やす。周りのものも最初は冷ややかだったが、翁の努力を
認め、村議会も応援するようになる。大正12年順調に進み、
皆川、古里そして余多・竿津・赤嶺の字へと広がった。
ただ順風満風ではなく、大きな敵,台風がやってくる。大正
13年の3度に渡る台風に散々な目にあう。翁は植え付けの
時期も研究する。翁の残されたこの二期作耕作は、島を
潤し、島民に与えた功績は多大なるものがある。

島全体に二期作は普及し当時は民謡にも歌われている。

『越山麓の水田の稲は 年にお米が二度とれる サノサッサ』

皆川字に翁の顕彰碑がある。農業革命の担い手としての
翁を島は語りつないでいただきたいと思う。

また翁を讃える歌がある『美野入間翁を讃えるうた』

 1、命つなぐ 白銀の 米のめぐみ 朝夕に
   口には言えど 誰が知る 瑞穂の口の 千五百秋
   黄金の色の みのりこそ 汗にまみれししるしなれ

 2、永良部の島の 二期作の 米のめぐみ 朝夕に
   心かけて 誰がいう みのりの秋の 名に因む
   美野氏の君の 並ならぬ 心きざみし いさおなる

 3、黄金に稔る 秋の田を 眺めつ祝う 喜びを
   いかでか我等 歌わざる 黄金にまさる 白銀の
   米をさづけし いさおしを 永久にあがめつ たたえつつ

    作詞 佐伯植美  作曲 安田 尚

参考文献:「皆川字のあゆみ」2000年3月刊より引用
     翁の話の詳細はこの本に記載されています


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