2015年01月16日
シークリブ ヒラミレモン
シークリブ ヒラミレモン
シークァーサーと同じ種類です。
山では実が残った木を見かけます。
2015年01月15日
沖永良部島の湧水
沖永良部島の湧水
http://erabu.jimdo.com/湧水/
かつては130か所ほどの湧水がありましたが、現存しているのは90か所ほどです。
沖永良部島湧水愛好会として調査や記録にまとめています。
2015年01月15日
2015年01月14日
2015年01月08日
寒緋桜とメジロ
寒緋桜とメジロ
ヒカンサクラでしたがヒガンサクラと混同しやすいため、カンヒサクラに変更されました。
沖縄ではTVや新聞等カンヒザクラで統一されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%92%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9
2015年01月07日
2015年01月07日
2015年01月06日
2015年01月05日
2015年01月04日
沖永良部島の世の主伝説 見やすくまとめました。
沖永良部島の世の主伝説 原田信之研究室
NO、1~NO,63までにまとめられています。2010年11月
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201011
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201012&paged=2
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201012
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201101
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201102
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201103
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201104
2015年01月04日
沖永良部島の世の主伝説
沖永良部島の世の主伝説 原田信之研究室
NO、1~NO,63までにまとめられています。2010年11月
http://blog.niimi-college.jp/~harada/blog/?m=201011
2015年01月03日
世の主の産湯に使われた湧水
世の主の産湯に使われたと伝えられている湧水
シャーゴ 下城
綺麗に整備されていました。
徳時の湧水も整備されたようです。
湧水が注目されるようになってきました。
沖永良部島湧水愛好会BLOG http://yuusui.ti-da.net/c172294.html
2015年01月03日
万両 マンリョウ
マンリョウ
山中で実が存在感をアピールしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%A6
2015年01月02日
しぶんぎ座流星群 1月4日 3大流星群
1月4日しぶんぎ座流星群
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2015/01/04/index-j.shtml
3大流星群の一つです。
他はペルセウス座流星群・ふたご座流星群
2015年01月02日
沖永良部島の湧水
沖永良部島の湧水
去年はだいぶ注目されました。
GOOGLE MAPには湧水地図をUPしてあります。
去年の年末に発表用にパワーポイントにまとめました。
2015年01月01日
2014年12月31日
国際農業者交流協会 国内研修
国際農業者交流協会
東日本&西日本講習所
所長たちのコメント
2人とも24期生派米2か年研修の同期です。
2014年12月30日
2014年12月29日
2014年12月29日
ハイビスカスとモンキアゲハ
ハイビスカスとモンキアゲハ
羽が痛んでいますね。
沖永良部島 正式な呼び方 おきのえらぶ
島の名前の読みについては、1973年(昭和48年)に当時の和泊町長が町議会で「おきのえらぶじま」が正式であると答弁している。
2012年に和泊町議会において「おきえらぶじま」と「の」を抜いた形での呼称統一を決議したものの、町側は区長会や観光協会、地女連など町内5団体と意見交換した結果、いずれも「変更の必要なし」との結果になった。これらを踏まえ、同町はどちらも正しいとして「変更の必要はない」と結論付けた。会話の上では単に「えらぶ」と呼ぶ場合が多い。
2014年12月27日
2014年12月27日
2014年12月26日
環境と成長の両立を沖永良部島から考える
2014年12月25日
沖永良部島 稲の2毛作について
奄美で稲の二期作を開発した偉人に「美野入間翁」がいる。
皆川字出身1888年(明治21年生まれ)、島での稲作は粗悪で
作付け面積も少なく、米は一期作では不足し、まずい唐米、
台湾米、シャム米等外米を輸入して不足分を補充していた。
人口が増え、大島郡だけの米ではまかなうことが無理で、
台風が着たら飢餓同様の生活をしなければならない。
翁はそんな姿を見て二期作づくりに取り組む、でも二期作
づくりは困難を極め成功しない時期が続く。翁に手を差し
出した人に今村農業技手がいた。一期作を刈取ったあとの
『マタべ』を利用することを思いつき、今村の指導を受け
二期作づくりが始まる。時は大正5年、そして大正8年
二期作苗づくりに成功する。
でも予想もつかぬことが起こる。ギャングの登場、空の雀
地のねずみの襲来にあう。田圃に仮小屋を作り防除に日々
費やす。周りのものも最初は冷ややかだったが、翁の努力を
認め、村議会も応援するようになる。大正12年順調に進み、
皆川、古里そして余多・竿津・赤嶺の字へと広がった。
ただ順風満風ではなく、大きな敵,台風がやってくる。大正
13年の3度に渡る台風に散々な目にあう。翁は植え付けの
時期も研究する。翁の残されたこの二期作耕作は、島を
潤し、島民に与えた功績は多大なるものがある。
島全体に二期作は普及し当時は民謡にも歌われている。
『越山麓の水田の稲は 年にお米が二度とれる サノサッサ』
皆川字に翁の顕彰碑がある。農業革命の担い手としての
翁を島は語りつないでいただきたいと思う。
また翁を讃える歌がある『美野入間翁を讃えるうた』
1、命つなぐ 白銀の 米のめぐみ 朝夕に
口には言えど 誰が知る 瑞穂の口の 千五百秋
黄金の色の みのりこそ 汗にまみれししるしなれ
2、永良部の島の 二期作の 米のめぐみ 朝夕に
心かけて 誰がいう みのりの秋の 名に因む
美野氏の君の 並ならぬ 心きざみし いさおなる
3、黄金に稔る 秋の田を 眺めつ祝う 喜びを
いかでか我等 歌わざる 黄金にまさる 白銀の
米をさづけし いさおしを 永久にあがめつ たたえつつ
作詞 佐伯植美 作曲 安田 尚
参考文献:「皆川字のあゆみ」2000年3月刊より引用
翁の話の詳細はこの本に記載されています
2014年12月25日
昔の沖永良部島の湧水地図
昔の沖永良部島の地図
西郷南洲記念館に展示されています。
当時の湧水が描かれています。解りやすいですね。
2014年12月24日
2014年12月24日
沖永良部島の哺乳類
沖永良部島の哺乳類
ワタセジネズミ
リュウキュウジャコウネズミ
アブラコウモリ
ハツカネズミ
クマネズミ
ドブネズミ
ホンドイタチ